ひょうし/小説を書こう
なくした1
作:藍和/中学3年 女子
 私は左回りの台風の中で、一人の少年をなくした。
 それは塾の帰り道での惨事で、ほんの一瞬のボタンの掛け違いみたいな幸運と悲劇だ。
「家が、家が、わからない、わからない」
 常夜灯で見える街並みは午後十時のそのままなのに、私に泣きついてきた子供だけが異彩だった。細い体に作り込まれた顔、ボブカットに真っ白なワンピース。それでも、子供は少年だった。彼は同じ言葉を、必ず二度ずつ繰り返した。
「……どうしてこんな時間に」
「わからない、わからない」
 そりゃあわからない。きみは子供だもの。
 私の声に少年は涙声で繰り返す。
「わからない、わからない」
 どうしたものか。この通りの午後十時はまるで人が通らない。私だってしがない受験生の端くれで、改変だとか、影響だとか、衝撃だとか、ことを起こすのは難しい。今回の場合は影響。迷惑という、そういう影響。
 ぶうっと強風が木々を揺らした。
 緑が空中を駆けてくる。
 少年のワンピースがめくれあがって、髪が乱れて。
 私が彼の身なりを整えてやる間にも、どこからか風が吹き込んでいる。暗がりの多い場所で止まない風に見舞われると、空間に穴が空いたように感じて、足元を確認して、次元を確認したくなったりする。少年の髪はさらさらで、ふと指の間からこぼれ、抜けて手のひらに残った色素の薄い一本を私はジーンズのポケットにしまった。
「め、め」
 最初は聞き違いだろうと思った。
 嗚咽の延長線上に出る声なのだろうと。
 しかしどうだろう。不自然ではないか。
 たかが十四年の、されど十四年を人として生きて、「め、め」という泣き方をした人には会わなかった。だが、目の前の少年はどうにも異質だし、そういう文化があるのでは、とも勘ぐってはみたが、それらはおそらく私に明らかに何らかの意思を提示しているのだ。「め、め」は、少年の意思の表れなのだろう、きっと。
「め、め」
「えっと……め、め」
「め、め」
「め、ってなに?」
「めが、めが」
 めが……め、が……め、が、なにかを表している。
「めが、どうしたの?」
「あるよ、あるよ」
「めが、あるの?」
「あるよ、あるよ、めが、めが、あるよ、あるよ、ほら」
 ホラ、
 ぶうっ、再び後方から風が吹き付ける。
 少年の枯れ枝のような指先が私の奥の、なにかを示している。こちらに伸びた腕、指は、明らかに私をすり抜けて、まだ見えないなにかを、未知を。
「ほら、めが、あるよ」
 振り返る。ぶうっと顔を叩く強風に瞼が落ちかかる、がその光景の異様さに大きく見開かれた。
 空間にぽっかりと空いた穴。
 大きな渦。
 しかし風ははきだされるばかりで、内部ではしんと静寂だけがある。
 それは、まるで。
「台風……?」
「め、め、行こう。め、行こう」
 少年は私をそれに押し出す。めに、台風に取り込もうと。
「な、なにしてるの」
「いこういこう、め、行こう」
「危ないからっ」
 恐るべき力だ。私の体はじりじりと、確実に、台風の目に近付いている。取り込まれようとしている。詳しいことは分からない。わからない、わからない。そりゃあそうだ。私はまだ子供なのだから。すぐ鼻先に大きな暗がりがある。次元の歪みが。
「ひ」
「行こう、めが、あるよ、行こう、めが、あるよ」

 取り込まれて。
 
 それが塾の帰り道、午後十時の惨事だ。
 回る回る、静寂かと思ったその胎内はどうも回転しているようで、私と少年の体はひどく揺さぶられ、引き伸ばされた。
 それでも、少年の手を、私は離さなかった。
 万力のように、一心にその手にすがった。
 視界の端々に白いワンピースの裾が見える度に安堵した。そして、死を、天国を考えてみた。
 少年が天使だとして、台風が馬車だとして、これから行き着く先が天国だとして、なんて壮大な出迎えだろう。星新一の小説に、神様が天使に結社させ、死人の魂を集める競争を促すというのがあったけれど、これではきっと競争には勝てないだろうな、とぼんやり思う。
 センスが無い。暗い。これこそ死の可視化だ。
 と同時に、それでも天国があるのなら、過程は気にしないでいよう、と楽観的に考えてもいる。
 少年の手は小さく、冷たい。
 塾のテキストが入ったカバンはどこかで離してしまった。もう、現実味を感じるものは何一つ手元に残っていない。

 現実とはなにか、この状況は現実に当てはまるのか、いずれいきつくであろう天国への道なりで、その事ばかり思っていた。


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