ひょうし/小説を書こう
紫陽花の追憶
作:ひー/中学2年 女子



『全く以って面倒な子だ』
『何処かにやってもいいのではなくて?』
『いくら妾腹とはいえ、下手な所に売るわけにもいくまい、一応はこの家の子だ』
『さて、何処かよいところがあればいいのですけれどね』


大体、察しはついていた。
自分が、邪魔者扱いをされていること。
そう幾らも経たないうちに、何処かへやられるということ。
自分が、居ても居なくても家に関係のない存在であるということ。
全て分かっていたから、大して悲しくはなかった。寧ろ知っていてよかったとも思っている。ーー急にそんなことを知ったら、怖くなるから。


******


「兄様」
少年が呼びかけると、静樹(しずき)はゆっくり少年を振り返り、そしてゆっくり微笑った。
「あぁ、どうしたの佑樹(ゆうき)」
外は通り雨の名残を残さず、澄んだように晴れている。紫陽花の葉から雫がぽたりと落ちて、土に染み込んでいった。
「……天気が悪いと、兄様はすぐ具合がわるくなるから」
静樹は少年の返答を聞いて少し驚いたような顔をしたが、すぐにいつもの微笑に戻った。
「今日は通り雨だけで、そんなに天気は悪くなかったから大丈夫だよ」
「…本当?」
「うん、本当」
静樹は彼特有の陽光のような笑みをしている。実際に今日はさほど具合が悪くはないらしく、起き上がって絵を描いていた。
「ねぇ、何描いてるの?」
佑樹が近付こうとすると、静樹は手でやわくそれを制する。
「近付いたら駄目、労咳は伝染(うつ)る」
「僕には伝染らないよ。兄様は優しいから、僕には伝染さないでしょ」
佑樹は笑って、制止も気に留めず静樹の手元を覗き込んだ。
そこには、丁度部屋から見える位置にある紫陽花が黒墨だけで描かれている。柔らかい描き味は、描き手である静樹のそれによく似ていた。
「綺麗だね」
「まぁ、絵と読書しか床ですることがないから」
そう言ってから、静樹は咳き込む。口に当てた手に鮮血が付いているのは、自分の終わりが近いということを示しているものなのだろう。
別段驚かなかった。喀血は今が初めてではなかったし、何より自分の死期は自分が一番よく解っている。ーーそれでも。
「………兄様?大丈、夫?」
佑樹は心配気に静樹の顔を覗き込んだ。彼の幼い顔が、自らの近くにあって。
ーーこの弟だけには、絶対に伝染してはならないと。
「………ないで」
それは、咄嗟に出てきた、一番言いたくなかった言葉。
「兄様、」
「……来ないで……近寄らないで………ッ…!!」
佑樹は驚いたような顔をしてから、つと俯いた。
それから襖のほうに行って、此方を振り返る。
「……兄様、」
「…………」
そして、九つの少年には似合わなすぎる笑みをして。
「兄様だけは、僕を嫌いに、ならないで」
襖が開いて、そして閉じる音がした。

静樹は俯き、両手で顔を覆った。


ーー嗚呼、今きっと酷い貌をしている。

静かで孤独な部屋に、咳き込む音だけが響く。




******




ーーだいぶ、早く起きてしまった。
まだ空はうっすらと白んで、薄紫の雲が東の空を覆っている。桂木は人気のない庭に裸足で下りて、夜雨のあとの雫で濡れた紫陽花を見つめた。遠くの空で鳥が一匹、孤独に鳴く声がして、余計に静けさを際立たせる。
ーー昔の夢を、見ていた。
この時期になると、いつもこれだ。
決して幸せな夢ではない。否、少なくとも兄との思い出は不幸ではなかった。ーー結局、彼は死んでしまったけれど。
でも、それ以上に吐き気のするような、気分が悪くなるような夢が。
その感覚は生々しく蘇ってきて、今でもそれは手に取るように思い浮かぶ。


ーーいつになれば、終わるの?
『逃げたって、逃げられねぇよ。追いかけるから。ーーそれに、これをお前の家に言ったらどうなるか位、お前なら分かるよな?』
自分より何回りも大きい男たちにそう凄まれて、無条件に抵抗できる九つの子供はそうそういないだろう。
『…………っ』
薄暗くて相手が見えないぶんだけ、恐怖も増える。
持ち主の分からない手に身体をまさぐられる感覚にずっと慣れなくて、終わったあとに来る強烈な嘔吐感は、今でもはっきりと覚えている。
耳元で囁かれる声は、甘いものでも、優しいものでもなく。

ーーそんな恐怖に、ひたすら怯えていたような、そんな夢。





******


あれから、顔を合わせていない。
悪いことをした、と分かっているし、それは佑樹が嫌いだからだということではないというのも、彼に伝えておきたかったのだけれど、と静樹は虚ろな意識の中で考える。
伝染(うつ)したくないという思いと、それでも会って話したいという思いの板挟みは中々自分を苦しめている。
最近は前以上に体調が悪く、常に微熱があり意識が朦朧としていて、それでごくたまに意識が飛んだ。
ーー末期ですよ。永くないです。
医師(くすし)が言う言葉に嘘はないことはとっくに知っていた。
「お気を確かにもってくださいな、病は気から、でございますし」
などと世話をしてくれている女中の梅などは言うが、人間は自分の死期が近づくと自然とそれを察するものなのだろう。自分でも自覚していたし、そもそも自分が死ぬことを特別悲しいとは思っていなかった。でも唯一、自分が死んだら佑樹は一体どうなるのだろうか、とは上手く動かない頭で時々考える。
「あの、静樹様、」
物思いに耽っていると、ふいに梅から声をかけられた。
「何」
「佑樹様が会ってお話をしたいと」
「………」
ーーこれだ。
会って話してやりたい、でも伝染したくない。
なんて面倒な身体なんだろうか、と静樹は自虐的に笑った。
「いい、よ。入っておいで」
そう声をかけると、部屋の襖が開いて、ぱたぱたと佑樹が駆け寄ってきた。
「佑樹、」
「……なに…?」
「僕は、佑樹が嫌いなわけじゃ決してないよ」
静樹がそう言うと、佑樹はぴくりと身体を震わして、目を逸らす。
「何があっても、それが僕だけになっても、僕はお前を愛しているから」
「……う、ん」
佑樹はいつも、顔を俯けたままひっそりと、誰にも分からないようにして泣く。だから時折、僕はこの健気な少年に何か重いものを背負わせてはいないだろうか、彼を気付かぬうちに傷つけてはいないだろうか、と静樹はひどく心配になった。
ふと彼のほうを見ると、当の本人はこちらに顔を向けている。そのままじっと黙っているものだから、静樹がどうしたの、と訊くと、
「……僕は、なんで生きてるの? 誰に望まれて、此処にいるの?」
と佑樹は静樹の顔を見つめ、淡々と尋ねた。
ーー僕はこの子のこういう貌を、見たくはなかった。
つくづく思う。
佑樹がやたらと大人びた言動をするのは、何故か。
彼が九つであることを忘れさせるような表情のもとは、何なのか。
それを考えると、静樹の胸中は労咳とは関係なく、ひたすら痛んだ。
「……そんなのは、答えがない問だから、訊くのはお止し」
こうやってまた、彼を誤魔化す。
ーー自分が吐いている誤魔化しが優しいものであると、信じていたい。
静樹は彼自身が自覚している以上に、佑樹を傷付けることを恐れていた。
「兄様、具合は……悪くない?」
訊きながら静樹の手を握った佑樹の右腕に、袖の陰から不審な“何か"が見えた。
焼けたような、一本の筋。ーーいや、焼かれたような。
「ーー佑樹、」
静樹が彼の腕を掴み返すと、佑樹は気付かれた、とでも言うように慌てて右腕を背中に隠す。
「…それ、何」
「…………」
「答えて。家の者か?……それとも、別の者にやられたのか」
いくら尋ねても、佑樹は焦燥した顔で、黙って首を横に振る。絶対に知られてはいけない、絶対に気付かれてはいけない、と拒絶するように。
「なんでもないから……ね、?」
そう言って、悲しげに笑った。
「兄様が心配するようなことじゃ、ないから」
「………」
「具合悪いのに、勝手に来たりしてごめんね。……ゆっくり、休んで」
「待っ、」
待って、なんて声は届かない。襖は静かに閉じられた。

「……教えて」
君の隠している、痛みを。

黒い波が押し寄せてきて、呑み込まれるような。
そこで静樹は意識を手放す。


ーー終わりが近い、なんて。
何故、わざわざ僕なのだろう。

何故、あんなものを背負うのが、あの子なのだろう。


******


ーーこの声は、梅のものかな。
薄っすら目を開けると、そこには憔悴しきった顔をした梅がいた。
「しっかりなさってください、まだ駄目です、逝かれては」
どうやら、自分はそろそろ死ぬらしい。
静樹は、案外感慨はないものか、等と他愛もないことを考えていた。
「医師(くすし)を今お呼びしてますから。お気をしっかり」
梅は、しばらく冷水で冷やした布でひたすら静樹の顔やら首やらを拭っていた。しかし、今はされていた本人が「もういいよ、」と制止したものだから、手持ち無沙汰になっておろおろとしている。

死期、なんてのは簡単に来て、人間は簡単に死ぬ。

虚ろな意識の中でそんなことを感じて、静樹はふふ、と微笑った。



ああ、でもせめて。

ーー彼だけにでも。





…続




あとがき
はーーーやってしまいましたどうも、こんにちは、ひーです。
これ実は別サイトのほう限定の短編のつもりだったんですが、梅雨だ!! 紫陽花だ!! ということでこっちに投稿しちゃいました次第です。ごめんなさい。でもこっちに載せる予定のないブツ(おい言い方)は別サイトのほうにあるんで、是非見てみてくださいね♡←
(ちなみに別サイトについては自由掲示板で明かしていますので過去の発言をご覧ください)
桂木過去編です。ただひたすら書くのが楽しいです。嘘です大嘘。鬱だし人死ぬしで本当にもう書いてて心が辛くなってきます…予想外。あっちなみに佑樹のほうが桂木です。静樹は死んじゃったお兄ちゃんです、享年15。労咳=現在の肺結核ですね。
あと本当に遠回し描写すぎてお分かり頂けなかったと思うのですが、いつになれば終わるの?あたりからはつまり、桂木(幼少期)が知らない人間に繰り返し強姦されてたってことです。設定読み込んでくださった方は分かるかな…。
長々とすみません。近いうちに続編(最後)投稿したい。せめて長野の梅雨が終わるまでには…ッ(自分で自分の首締めてくスタイル)
コメント、アドバイスお待ちしてます(^o^)
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