ひょうし/小説を書こう
ハッカと雨垂れ
作:藍和/中学1年 女子

 速達係りの男が今朝、鉛筆をくわえ吉野に届ける手筈であった葉書が一葉、姿を消した旨を明かした。
「申し訳ないが、その吉野はもうこの世に存在しているのかいないのかすらも危ういほどなのだろう? それほどまでに長く長く年月を捨ておいて、それでもまだ見付かってはいないのだろう? 貴様が昔見ていた、というものは吉野という名の理想体ではあるまいか? 吉野という名の幻獣なぞではあるまいか?」
 速達係りの男はくわえる筈であった鉛筆で頭を書きながら弁明ではない言い逃れをした。彼はそれが酷く気に入らなかった。
「なにおう、吉野はいるぞ。私は吉野の住まいを知ったのだ。覚えの渓流を越えた先の、あの酒飲みに聞いたのだ。ただの酒飲みではない、百万のワインをぽんと買い付けてしまうほどの男に聞いたのだ。吉野は桐の花が咲き仰せる屋敷の主人にめとられ、住み入りの愛人として日々を重ねているのだと」
 彼は「もういい」と切り捨てると、生まれたばかりの日の形を追いかけるように走った。しかしながら、その速達係りの男の吐いた嘘にまでとうとう気付くことはなかった。一葉の葉書は確かに吉野の手に渡っていたのだ。



 初夏の音をうまく受け取ることが出来ずに一日を忘れ、ついには秋が来てしまうという慌ただしさこそが青さである。青々と繁る葉の群には目もくれず、駆け抜けていくことこそ正しい青春であり青二才の過ごし方なのではないか、とは彼が遙々思い馳せた理想卿の一端であった。
 川遊びをする子供三人の内の一人が彼であったが、高等学生の分際で未だにすることもなげに川遊びとはどのような風の吹きまわしであろうかと。しかし、彼を除いた残りの二人はどちらとも彼より四つ五つは年上の男で、彼には言い出す言葉も無かったのである。そのような川遊びの最中に吉野少年の名は度々姿をみせた。
 大抵は昔仲の良かった友人の名として現れたのだが、彼は吉野に一段変わった感情を思っていたために幾ら時が過ぎようとも解決しない恋煩いを拗らせていった。
 吉野少年は図体の馬鹿でかい、ただそれだけが取り柄の周囲の男たちとはどこか違っていた。あくる日に霜焼けで皮膚を腐らせるような、そんなか弱さがあったのだ。吉野少年と彼は修学旅行では抱き合って眠り、水の中をさまようおぼろ気な意識で言葉を交わした。
「家のことが嫌いなんだ」
 吉野少年は使いなれた上目遣いで彼を見た。
「じゃあ帰らなきゃいいじゃないか」
「そんなあ、できやしないよ」

 周囲を憚り、耳元で囁き合う程度の潔白であった。
 そう、彼らは潔白であったのだ。
 ばか騒ぎをした友人の話、父母のした喧嘩を疎ましく思う心情、意地の悪い兄弟の愚痴、それらが引き金となって家を嫌う自分の現状。
 潔白であって、他になんと言えようか。薄汚い貞操概念と性欲を消し去った友愛に情愛の色などは無かった。
 
__その頃には。




 桐の花が雨に濡れて地面に糸を引いていた。そこで彼は気付いた。足は濡れ、柱にもたれ、頬は痩け、口元には微笑をたたえる友人の姿に。長く愛した友人の姿に。

__よしの、吉野……あぁ、アイツを捜してんのか。やめといた方がいいんじゃねえか。なんせ、吉野といえば飽き性で有名な男だぜ。今、あの領主に仕えていなくちゃ、男女問わずにとっかえひっかえなんじゃねえかね。……しかし、あれのどこがいいんだか。

「もし、失礼しますが、吉野に会わせていただけます?」
 彼は近場で丸まっていた番に言う。番は顔を歪めて、ころころ表情を変えた後にひきつった顔になった。
「ああ、ああ、あの男。良ければそのまま連れ帰ってくれ。あんなに奇妙な人間を俺は初めて見たね。キチガイさ、キチガイだよ。そんで良いならさっさと連れて帰ってくれ」
 番は笑顔一色を彼に向けた。
 
 吉野は直ぐに彼を認めた。認めたが、その存在だけを認めた。記憶は認めようとはしなかった。
 目前に佇むまるで焦点の合わない男の口の中で転がされた飴玉と言葉がただの冗談で、いっそ人形のように従順な吉野がただそこに存在をもて余していればいいと彼は思う。桐の花から滴が溢れるほんの一瞬の思考である。
「はたして、貴方はなにを舐めているのでしょう?」
「ハッカです。ご存知ですか」
「ええ、勿論ですとも」
__貴方のお好きなお味でしょう。 とは、口に出さなかったが。
「ねえ、お名前は?」
「名前を? 覚えてはいませんか。私の名前は」
「申し訳ありませんが、残念です。そう、そう、きっと覚えていますわ。忘れているだけで、覚えているんです。ごめんなさいね」
「名など知らずともよい、違いますか」
「違いませんわ。まったく、その通りね」
 彼は一抹の疑問を浮かべて吉野と噛み合わない言葉遊びを繰り返していた。何故だろう、言葉の使い方が、まるで女じゃあないか。
「森があるのです」
 吉野は彼の不安を含んだ疑問を知らずして切り出した。一体終わりを考えていなかった彼はどんと重石を乗せられた気分になる。
「森、ですか」
「そうです。森の中には女が住んでいるのです、一人で。その女の主人は十数年前に亡くなっていて__たしか兵隊にとられて死んでいったのだわ__そして女は軍を酷く嫌っていたんです。その頃に私は軍隊に所属していて、彼女にあったのはまだ私が三等兵の時分で場に不満ばかりをもて余していたのでよく話が合いました」
 嘘だ、と彼は思った。吉野が兵隊をしていた頃はない。誰の記憶かは知らないが、こいつの記憶は吉野でないのでは。
「三等兵だった私に彼女は言うのです。貴方も枠に漏れず兵隊でしょう、私がいつ頃貴方を殺そうと足掻いたって、どうぞお逃げくださいね。でなくちゃあ殺されてちょうだい、と。」
 吉野は口をもごもごさせて、ハッカを舌で外に出した。そのなんと欲情煽る仕草であったことか。彼は動きを止め、吉野をただ食い入るように見つめていた。ハッカはだんだんと形を崩している。
「そうしてね、彼女が私を殺そうとすることはとうとうなかったのですよ。彼女の生ける年月は皮肉ながらも生まれ落ちたその日に決まっていてね、永遠の眠りであるとよいですが、永遠の目覚めを手にいれたやもしれない。少し気が滅入った私は体を壊して兵隊を辞めねばならなくなり、ついに彼女の呪いだろうかと恐ろしくなったものです。そんな時に、私の元には葉書が一葉届きましたの」
 雨垂れ光明にて闇を生み出し、時の軸を変えながらこうして綴る話に彼は翻弄される。ただ唯一信用に価するのは彼の口内で甘くほどけるハッカの飴玉のみである。
「吉野へ、吉野へ、と必死に書かれていたのだなぁと思って、それが同級生だと知れるとついぞ、ああ、あの時の愛情をと思い返していたたまれない。境遇が境遇です、話相手を失って届いた葉書が過去に愛した友人のものだとは誰も思いませんわ。いつか会いに来てくれるのだろうかと思ってお待ちしていたのだけれど、駄目ですわ、まったく。あれ以来になんの音沙汰もなくって」
 それは、私です。包み隠さずに申し上げます。包み隠さずとも、私なのです。もう一度すべてをあの頃へ、理想の頃に幸よあれ、少年の青く澄んだ瞳を、どうか__彼の口は閉ざされたままである。脳に浮かぶ言葉の羅列は脱力という単語に打ち消されて透明になった。
「葉書がだって、届いたのはもう二十年も前の話ですものね」
__お互いにいいおとしだわ。

 吉野はそれから唇の端を舐めた。既にハッカは溶けきって、彼がそこにいる理由もついぞ途絶えてしまう。立ち上がって吉野と目を合わせると、焦点が彼の手前で交差し姿を認めることは容易であった。

「またきてくださいまし」
「ええ、機会があれば、また」

 彼は思う。もう、二度と吉野という幻想を訪ねることはしないだろう。

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