ひょうし/小説を書こう
Rabbit.
作:まかろん/中学2年 女子
愛情とは素晴らしいものである。
それが例え暴力になろうとも、その振り下ろす拳のひとつひとつに愛が込められているのだ。そして愛を受ける側はそれを思い切り堪能することが出来るのだ。痛みによって涙ぐましい程に相手の愛を感じることが可能である。限られた相手との時間の中、他の愛し合っている人々よりも短時間に効率的に愛を実感することが出来る。実に素晴らしい、なんて素晴らしいのだろう。

しかしそれを理解することが出来ないという人間が存在する。それも多数いる。私も彼らの考えは解らない。いや、理解し難いと言った方が無難であろう。なんと言っても彼らは自分の考えを否定する存在なのだから。

この体に青い痣が出来たとする。
無論私はそれを早く治したいと願う。
しかし、その痣が生まれる理由が自分のミスや相手からの憎悪などでもないものであったならば。
むしろ痛々しい程の愛であれば、私はこの体に刻まれたその愛を、その痕を、とても愛おしく感じるであろう。
しかしこの時点で私の考えを否定する人が出てくるだろう。彼らが考えていることを想像するに、そもそも身体という自分の精神の器に傷が出来るのが嫌なのだろう。
しかし私はこう思う。
" では、どうやって愛を実感するのか?"
彼らはこう答える。

"抱きしめる""口で伝える""接吻"

それはどうなのだろうか。
実際にそんなことをしていても、“浮気”なんてものが存在している。
抱きしめることなんて友人とでもできる。
第一、抱きしめるということは愛情でなくても出来るのだ。
口で「好きだ。愛している。」なんて言っても“嘘”かもしれない。誰にでも言える。
"接吻"それこそ女好きや男好き、そんなやつにならば容易いことである。

しかしながら、
"愛するあまり殴る"
"愛し合うあまりに束縛する"
こんなの普通の人ならば真似出来ないだろう。下手をして、相手に通報でもされれば犯罪事件に成りうるのだから。
許されることは愛なのだ。
多少自分が傷ついても、相手が自分を死ぬほど愛してくれていると分かるのならば死んでも構わない。
その痛みは愛であり、死ぬなんてことなんか考えない。どんなに傷ができようともそれが心地良い状態となるのだ。
それは相手を愛するあまり相手の命まで自分のものにしたいと願う、強い愛情表現なのだと私は捉える。


……………


私は灰色のわりと新しいパソコンを閉じるとそそくさとベッドに戻った。今日も布団を頭まで被ると強く目を閉じて、いつも通り一人寂しく眠るつもりだ。
寒さのあまり手が震える。
嗚呼、誰か私を抱きしめてくれないだろうか。
誰でも良いのだ。誰かの温もりを欲す。
これはあわよくばの願望なのだが、私を愛してくれる人がいるのであれば私に力強く愛をぶつけてくれないだろうか。
飢えすぎて格好悪い。
1秒先の未来でさえ本気で恨めるようになった私は明日が来ないことを願った。死ぬ事は怖くてできない腰抜けですが。
明日私が目覚めることがないように。
その願いは叶うことはなかったが、その代わりに布団の温かさだけがが私を包んだ。

そして私は眠りに落ちた。
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