ひょうし/小説を書こう
その日、その疑問。−動物と人間ー
作:芯筆/6年生 女子
*これは私が常々思っていることです。反論意見など、勿論賛成も待っておりまする*


ペットを飼っている人はいるだろうか。今は結構飼っている人も多い。私は飼っていないが、周りに多いし、散歩なんかも多く見かける。
ここで疑問なのが、ペットは人に買われることが本意なのか、ということである。人に飼われれば野生で生きていく本能を失い、弱くなり、飼い主の都合に付き合わされることになる。ずっと、飼われれば捨てられない限り死ぬまでー
ここで思うのは、「動物に感情があるのか」だ。勿論、生き物である限り感情は存在する。ペットショップにいる動物は、かなりの時間、人に見られ、触られ、店員に飼われる。疲れないのだろうか。
飼われることになった動物は、いきなり知らない家に連れてこられて、知らない人と生きていくのだ。人間でもそういうことはある。孤児院なんかはそのような例じゃないだろうか。孤児院に行く子供を、人間は多くの人が「可哀相」という。では、同じような境遇である動物はどうして憐れまれないのだろう・・・
しかし、野生の動物が増えたからと言っていいとは思えない。野良猫が問題になっている地域もある。だが、感情のある動物を完全に飼いならすことは可能だろうか?難しいのではないだろうか。野良猫が問題になったのは、野生で動物が棲めなくなった環境を作った人間が原因ではなかろうか。人間が原因で従来通り、祖先がそうしていたように棲めなくなり、買われて、飼われ、都合に振り回される・・・なんとも勝手だと思ってしまう。
「買う」という表現もいかがなものかと思う。人身販売は禁止されていて、非道な行為に当たる。だが、同じ動物で、感情を持つものが人間以外だと売買が認められる。何故だ。

それは人間が世界の中心だからじゃないかと思っている。この世の中は人間が作り出したもので溢れている。しかし、それは人間に見え、触れ、聞こえるだけで、もし宇宙人などがいたなら、全て見えないのではないか、という謎の疑問が湧くのだ。この疑問のせいで、最近はなにもかも意欲が薄れてしまっている。
今述べた疑問は、きっと、永久に解き明かされないのではないか。この世のなか全てがカガクで説明できるとは、到底思えない。いつか、全てがカガクで解き明かされたとき、人類は何を求めるだろうか・・・



後書
意味不ですね・・・べつに病んでるとかではないんですが、一回疑問のドツボにはまると抜け出せません。あと、こんな悩みを持ってる小6なんているのだろうか、と思うと、淋しくて、周りに話すの恥ずかしくて、ここにあげました。反対意見でも、「意味不」でも賛同でも何でも待ち受ける覚悟はできておりますので、意見を下さるとうれしいです。
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