ひょうし/小説を書こう
何も分からず調子を合わせる人に協調性はなかった
作:ピン/大人 女子
人との距離感について、本能的に正しいのか、理性的に正しいのか、見極めなくてはならない。何故なら、本能的に正しい行動は多くがとることができ、結果として正しかっただけのことを熟慮の末の行動と同様に認めるなら、私は選択の権利を失ったも同然であり、 向上心をさえ失ってしまうかもしれないからだ。真に協調的な人とは競争しても、同調だけの人と競い合うことには意味があるのだろうか。目の敵にされるくらいがよいのかもしれない。
のんびりしている人というのは、本能的にだけ正しかったりする。私がその事を意識して嫌悪するのは、己の妥協の結果の代償とも言えた。妥協を嫌悪してばかりはいられないが、この性質が身近な人を含む周囲に悪影響を与えているという感覚にまで再び妥協を重ねることはないと感じた。人間をある瞬間二つに分けるとして、その片方に、時間の大切さを忘れてまで妥協を重ねる必要はないと知った顔をがあることを忘れてはならない。


存在で落ち込んでいる人の場合は精神の問題に達し、精神的な豊かさの消失が関係しているため、時間のみが解決する。能力で落ち込んでいる人は意識でなんとかなるという。だからショック療法にもならぬのに、身近な存在の死を経験した人間に、うっかりその事を彷彿させる会話をすれば、これほど愚かしく映るものはないだろう。自分の時間はどうした、ということである。
人はいつか死んで存在を失う。誰しも死や病を免れられないという事実すなわち能力の方で落ち込み続けた生き方をしてきて、いざ失ってみて、結果は分かってたけどね、という一種の順接でしめくくることはできるかもしれない。しかし分かりきった結果などという言い方は現存するものへの冒涜だと思う。分かりきった死とするならば分かりきった生となってしまうではないか。腹の底から未来を全く憂えないことなどありはしないのだということは時間の大切さと共に経験される。のんびりとした人とは人の死をどう考えたかに関係なく、先に述べた人間の一方に無関心であって、心からのんびり構えることさえ一度も出来たことがないのだろう。
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